教科書は読み過ぎないように!
というメッセージが全体的に強かった気がした本だった。
イイ写真とダメな写真の理解が深まる本なんじゃないの?
もちろん、写真の良し悪しについてもサラリ解説されてた。が、そんな技術的なことはどうでもよく、なんだったらカメラも何でもいいと断言している著者の幡野 広志さん。どんどんスマホが高性能になっており、誰でもそれなりの写真が撮れるようになったからこそ、構図なんかよりも大切な部分があり、スキルなんかよりも比重を置くべき要素があることが超良く分かった。
「上手い」とか「下手」にとらわれず、なんとなく「いい」を目標にするのは難しい。が、本書を読み終えれば少なくともどのような写真が自分にとって「いい」写真なのかに気付けると思う。また写真に限らず、あらゆる創作活動で役に立つ気さえするので、文章でもイラストでもなんでもいいけど表現を仕事にされる方は一読しておいて損はないでしょう。
というワケで、今回は「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」という作品について、読了後のレビュー・感想をまとめていきます。あ、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。
「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」
概要・おすすめポイント
ほとんどの人に写真の才能がある。でも、多くの人が写真を誤解している――即完売の大人気ワークショップをベースに幡野広志が書き下ろす、できれば触れたくなかった「写真の話」。いい写真とうまい写真はちがう。だめな写真とへたな写真も同じ意味じゃない。うまくてだめな写真もあるし、ヘタだけどいい写真もある。「いい写真」を知り、「いい写真」を撮ろう。写真の価値観が変わる、写真初心者必読の1冊。
「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」を読んだ感想・レビュー・心に残ったポイントは以下のような感じ。
カメラなんて何でもいい!
プロフェッショナルだからこそ相当カメラにこだわりがあるのかと思いきや、
写真ってカメラで撮るから誤解しがちだけど、カメラは基本的になんでもいいんですからね。料理人とおなじ包丁を使ってもおなじようにはできないし、包丁が長くても短くても料理人はできちゃうでしょ。カメラも一緒だからね。
というように、著者としては一貫して「カメラにこだわりすぎるな!」という姿勢だったのが印象的だった。なんとなくプロの人って、道具選びに厳しいというイメージがあったので以外だった。
写真を楽しもうと思ったときに、まずはカメラをどうするべきかと悩まれる方もいらっしゃると思うが、
カメラをやるんじゃなくて写真をやるの。カメラをはじめるんじゃなくて、写真をはじめるの。趣味がカメラじゃないの、写真を趣味にするの。
カメラなんかなんでもいいし、露出だの構図だのピントだのなんだのって勉強しなくても写真はできますからね。「写ルンです」でみんな写真撮れるじゃん。カメラがむずかしいんじゃなくて、勝手にむずかしくして写真のハードル上げてるだけだよ。写真もカメラもむずかしくしようと思ったら、研究者や開発者のレベルまでむずかしくできるからね。
というように、最初から難しく考える必要がないことを終始 述べられていたので心が楽になるでしょう。
とはいえ、
マジでカメラなんてなんでもいい。予算とデザインで選べばいい。だけど理解は必要。弘法は筆を選ばないのかもしれないけど、弘法だって筆を選べるならちゃんと選ぶでしょう。ぼくだって機材を選ばない状況でも撮影はできるけど選べるならちゃんと選ぶって。
理解は必要であり、それらについては本文でサラリと肝要な点が述べられていたので気になる方は本編で確認してみてね。
いい写真・作品とは?
いい作品というのは、見た人に感情が伝わるものだとぼくは思います。だからぼくが辿り着いたいい写真の答えは、伝わる写真です。
写真のみならず、良い作品というのは見た人に感情が伝わるものであるという著者の考えに同意しかない。
写真を趣味でやるのなら別に自己満足でも良いでしょ?
という意見も分かるけど、写真は誰かと共有することでも楽しめるものだと思う。で、一番重要なのは「写真」だと思いがちだけど、
写真も説明文がないと伝わりません。絵画だってよくわからないですよね。パリの最先端ファッションショーとかも。写真展に行ってもよくわからに写真っていっぱいありますよ。
というように、写真を説明するためには「文章」も必要だという考えにはビックリした。写真だけで伝わってこそでしょーが!と思いきや、そうでもないらしいよ。
言葉をむずかしく考えなくていいです。感情を書くだけでいいです。きれい、かわいい、うれしい、美味しそう。そういう感情をわかりやすく説明すればいいだけです。めちゃくちゃ大事なのは、起こった出来事や写真に写っているモノを説明するのではなく、自分が何を思ったかを言葉にすることです。
正解のない、芸術的な経験
ここまでくると、いかに「自分が何を感じた・考えたのか」が重要なのかが分かってくる。あまり良い写真を撮ることにこだわる必要はなく、スキルなんかでもなく、突き詰めていくほどに「写真以外」が重要になってくる的な著者の考えも超面白かった。
写真というか、あらゆる創作活動に通底していることなんじゃないか?とも思った。
なんのために写真を撮るの?
どうして人は写真を撮るんですかね。食事や睡眠のように写真を撮らないと死ぬわけじゃないのに、どうして写真を撮るんでしょう。いい写真は伝わる写真だとぼくは書きましたけど、これは哲学みたいなものなのでいろんな答えがあると思います。
(中略)
感情を記録して何年後でも思い出せるのが写真の魅力です。写真はいつか宝物になります。自分の宝物にも誰かの宝物にも。人類の生活には写真は必須だと思いますよ。みなさんも写真を撮る理由を考えてみてください。
誰かに何かを伝えたいから文章を書いたり、写真を撮るんだと思う。
誰にも見せるつもりがないけど?
という人であっても、将来 「自分」で見返してホッコリしたりする。「思い出」になる、というのも写真を撮る理由でしょう。
本書に影響されて、僕が高校生のとき一眼レフにハマっていた時に撮っていた写真を見てたけど、まぁなんとも良い写真でな。説明文がなくても いつの時期に、どんなことを思って撮ったのかも分かるんだよな。
構図を意識してそれっぽく撮った写真はつまらないのに、ピントがボケてたり、白飛びしてたりするけどジーンとくる写真があるのも不思議だね。
「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」
印象的だった文章
「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」を読んでみて印象に残った部分、一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。
言葉がないと伝わらない
写真を見た人がそれぞれ感じてほしい」とか「言葉にならないことを獲りたい」なんてことをよく耳にします。撮った本人は説明せずとも自分が理解しているからいいんです。だけど写真を見た人にはわかりません。
言葉がなくても伝わる写真は確かにあります。だけどそんな写真を撮れる人は世界の写真史に名を残すぐらいの人物だと思います。
いい写真は伝わる写真です。
だけど、言葉がないと伝わりません。
技術不足≠ダメな写真
親が立ったまま子どもを撮ったときの写真がダメかっていうとぼくはまったくそうは思わなくて、むしろ子どもと親との身長差が反映されてていいなって思うんです。
うまい写真かへたな写真かでいえば、カメラを子どもの腰ぐらいまで下げた方がうまいとは思うけど、いい写真なのかダメな写真なのかはまったく別の話です。
別にカメラを下げる写真がダメってわけじゃなくてむしろ正しいです。だけど親が立ったまま撮ることもダメじゃないしむしろ正しいです。だけど「子どもの目線までカメラを下げる」みたいな情報を聞きかじって信じちゃうと、前者だけが正しいと思ってしまい写真ってどんどんダメになっていくんだよね。
子どもに写真を撮らせてみる
子どもの写真っていいものです。子どもの視点がわかるのがいいです。子どもが描いてくれるヘタな似顔絵や、つたない手紙って親にとっては宝物じゃないですか。子どもが撮ってくれた写真も一緒。宝物になります。
子どもと家族を撮ったら、自分は写真に写らないじゃないですか。だから子供ができると夫婦の写真って少なくなるんですよ。子どもがいないときはいろんなところで二人で写真を撮っていたのに。子どもに夫婦の写真を撮ってもらえばいいんですよ。
ちいさい子どもをいちばんよく撮れるのは親。
親をいちばんよく撮れるのはちいさい子ども。
写真が経験になる
写真にできることは写真に任せて、絵画は新しい道を進みました。写真も一緒だと思います。AI写真にできることはAIに任せてればいいと思います。それで写真は新しい道を進む。そんな仰々しい話でもなくて、たぶん写真が経験になります。
20秒確認するんだったら…
写真を確認しないほうがいい理由は2つあります。まず1つめは確認に意味がないということです。そもそも何を確認しているんですか?ちゃんと撮れてるか確認しているんだと思うんです。じゃあちゃんと撮れるってなんですか?
(中略)
カメラのモニターでも拡大すれば確認できますよね。再生ボタン押して拡大して、表示された場所を移動して…。それ何秒かかるのよ?20秒確認するんだったらその時間で20枚撮ればいいんですよ。目つぶりなんて生理現象だし、ピンとも毎回オートで合わせて、ブレに気を付けて撮るの。
質より量
自信がないから撮らないんじゃないんだよ、自信がないから撮るんだよ。写真の質は量から生まれる。「いい感じ」のハードルも上がっていくので、打率はあまり上がらない。18歳の頃のぼくがいまのぼくの写真をみたら打率10割って勘違いすると思う。
カメラの限界について
写真は真実をうつすなんて書いちゃうけどそんなことはないです。真実をうつしそうな名前だから誤解しがちだけど、写真はむしろ肉眼で見た世界を撮ることが苦手です。苦手というか限界がある。一瞬で記録できるから絵画よりは得意だけど、人間の目と脳が優秀なので写真は肉眼には追いつけないんです。
『加点方式』か『減点方式』か
聞こえがいいからフォトグラファーや写真家を名乗りたくなるけど、自分の本業を前面に出して写真をやっているんですの方がかっこいいとぼくは思う。公務員やってるけど写真が好きなんです。フリーターなんだけど写真が好きです。学生やってます、写真が好きです。ぐらいのゆるそうな感じで、写真がいいとけっこうビビるよね。
逆に写真家やフォトグラファーを名乗っていると前情報でハードルが上がってしまい、写真を見る目も厳しくなる。むしろ勉強不足に目がいってしまう。そうなると原点方式で写真が採点される。
写真ではない本業を名乗っていると加点方式で採点される。おなじ70点でも、30点をダメ出しされるか、70点を褒められるかの違いだ。
カメラはなんでもいい…
写真をはじめる人はカメラで悩む人が多い。性能を比べてどのカメラを買うか悩んだりする。そもそもいっぱいありすぎてよくわからない。カメラ選びはクルマ選びと似ているとよくいわれる。合うクルマが人によって違うのと一緒で、カメラも人によって違う。
(中略)
カメラも一緒で、なんでも撮れるから好きなカメラを買えばいい。水中とか氷点下30度とか気温50度の砂漠や極限みたいな世界は別だけど、好きなカメラを買えばいい。クルマやカバンと一緒。デザインが自分の好みであるとかそういうことでいい。そもそもデザインが好きじゃないとカメラは持ち歩かない。カメラの性能なんて気にしないでいいからデザインを気にする。
カメラはデザインで決めればいいです。カワイイとかカッコイイとかでいいと思う。そうじゃないとカメラを持ち歩かない。まずはカメラのことを好きになる。好きなクルマだと運転がたのしくなるのと一緒。
古い常識にこだわるのではなく…
古い常識にこだわって新しい技術を否定するのではなく、古い常識を知って新しい技術をどんどん取り入れていきましょう。
総括:「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」
読書レビュー
下手だけどいい写真
について、よ~~く分かった「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」でした。
なに上の写真…?
下手かつダメな写真か?
これは僕の思う、下手だけどいい写真の一例です。
ニュージーランドに滞在していたときに、ひょんなことから知り合った中国人の車で車中泊キャンプなどをしていたときの写真で、ダッシュボードにケーキの箱や着古したパンツが乗っかっている乱雑さと、下でたたずむジャッキーチェンの気の抜けた感じがイイ。朝 体ギチギチで起きて「もうコイツと旅すんのやめようかな…」と思いながらIphone8で撮った写真です。
いやこれ…いいのか…?
と思う人もいるでしょうが、イイんです多分。こんなんでいいし、これだからいい。本書を読み進めた上で断言できますが、写真に正解はないです。あるとすれば個人の中にあるのでしょう。
どんな写真がいいのか分からないから、構図や技術を考えすぎたりして、撮りたくもない写真を撮ってしまうことが僕にはありました。が、今回「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真」を読んでみて、
- 自分にとって、何がイイ写真なのか?
については理解が深まった気がする。僕にとってのいい写真とは、思い出に残る写真です。人生を彩るために写真があると知れたのは大きな収穫でした。
写真家として断言できるけど、写真は間違いなく人生を豊かにします。だって目の前の景色を一瞬で精密に記録できるんですよ。写真を撮るのに必要なのは少しの手間と勇気です。技術ではありません。カメラなんてなんでもいいのよ。
技術についても参考程度に書いてありますが、それ以上に重要な、写真以外のことについても書かれていた良書です。気になった方が是非 読んでみてくださいませ~。
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