【人間をねじ伏せる体の欲求】『肉を脱ぐ』の書評・名文まとめ

身体なんて、脱ぎ捨てたい

と考える主人公が、肉体を持つことに悩み、疲れ、孤独に考えを先鋭化していき、最後には………、というのが「肉を脱ぐ」という作品だった。最後の数ページは鳥肌が立ちっぱなしだった。

 

恋愛?青春?ミステリー?
とりあえずジャンルだけでも教えなさいよ!

申し訳ないが、僕はマジで小説を読まない人なので、細かい分類は知らん。マジで分からん。あえて言うならなんだろう、ホラーに分類されるのか?いやホラーといってもオバケは出なくて、限りなく日常的で、いたって普通そうな主人公なんだけど、考えが異端で尖りきっていて……、、

 

 

というワケで、今回は「肉を脱ぐ」という作品について、読了後のレビュー・感想をまとめていきます。あ、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。

 

 

 

 

「肉を脱ぐ」
概要・大まかなストーリー

新人作家の柳佳夜がある日エゴサーチすると同姓同名のVTuberがヒットした。

なりすまし? その意図は?

その正体を暴くべく奔走する柳が見たものは――

現代のアイデンティティの在りか処を求める物語。

 

引用:筑摩書房「肉を脱ぐ」

 

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エゴサが止まらない新人作家

主人公は20代後半の女性、佐藤慶子。

社会人として働きつつも、新人作家「柳佳夜」として密かに活動している。

 

昔、本屋と図書館は大好きな場所で、たくさんの本に囲まれていると安らぎを感じた。それらの本の一冊一冊に、一つの精神が宿っている。肉体を持たない精神は時間と空間に縛られることもなければ、生物としての役割を押し付けられることもない。

私にとって、本とは精神の体現だ。身体に組み込まれた重さを思い知り、絶望して以来、純然たる精神が宿る場所としての本が唯一の救いになった。

 

身体の束縛から解放され、純然な精神になることを望むという佐藤慶子。言葉の世界に潜り込み、そこに一つの精神を作り上げたいと願うも、作家としては全く評価されない。売れっ子でもなければ、知名度も超低い。エゴサして、どうにか作家「柳佳夜」の存在を確認しようとする毎日。

 

そんなとき、自分と同じ「柳佳夜」を名乗るVtuberが現れて…

 

 

心底、身体にうんざりする

鏡を覗き込むと、眼鏡をかけ、そばかすが散らかっているふっくらとした顔がそこにある。垂れ下がった目尻は今にも泣きだしそうに見えて、乾いた薄い唇も不機嫌そうに映る。眼鏡を外すと、目の下のクマや、長年眼鏡をかけているせいでできた瞼のくぼみ、そして鼻筋についている鼻パッドの跡が目立って見える。

自分の顔を見るとうんざりして目を逸らしたくなる。顔だけではない。身体を持つこと自体にうんざりする。

というように、佐藤慶子は

「身体をもつこと」に異常なまでの嫌悪感

を抱いている。

 

身体を持つことにうんざりしている

身体を持っている限り、それをケアする負担が生じ、手間暇と費用が発生する。他者の視線に晒され、評価の対象にもなる。脱ぎ捨てられない重さを背負ってしまうこともある。身体が重い。身体こそが重さの根源だ。

 

……

 

身体にうんざりする

身体があるのは不自由過ぎる。陽射しを受ければくしゃみをし、花粉が飛べば鼻水が出る。お腹がすいたら食べなければならず、病気になったら治さなければならない。眠くなったら寝なければならず、耐寧に排泄物が溜まったら出さなければならない。生物の役割など知ったことではないのに、毎月馬鹿正直にせっせと受精の準備を進めている身体は、知性の対極の存在のように思える。

身体があることによって生じる不快・めんどくささ。

 

肉体を脱ぎ捨てたい、と切実に願う主人公の根本(なんでそう思うようになったのか?)については一読しても、というか何回読んでもハッキリした記述はない。だからこそ、それが生まれ持った個性であり考え方なのか、それとも「女性」「良くはない見た目」という性質によって後天的に付与されたものなのか、想像する余地が生まれていた。

 

 

 

「肉を脱ぐ」
感想・レビュー

「肉を脱ぐ」を読んで、個人的に思った感想・レビューは以下のような感じ。

 

本当は『現実世界』で認められたいのでは?

先述の通り、

言葉の世界で、精神として生きたい

という願いがある主人公の佐藤慶子さんだったけど、本当は肉体を持つ、現実世界で認められたかったのでは…?と思った。

 

承認欲求、みたいな…?

う~~ん、承認欲求とか堅苦しい言い方をしなくても、自分の存在を誰かに認められたい・知ってもらいたい、という気持ちはあって当然のものだと思う。身体に食欲や性欲という仕組みが備わっているように、精神にも認められたいと思う仕組みがあっても不思議じゃない。というかあるはずだ。調べたら社会性だのマズローの法則だの、山ほど出てくるわ。

 

しかし、聡明な(客観視が上手過ぎる)主人公なので、早々に現実世界での承認を見切り、精神としての、作家として評価されることを渇望するようになってたんだと思う。超頻繁にエゴサするのは、そんな承認欲求の現れにも見えた。

 

読んでいて最もウッとなったのは、後輩への優しさが報われなかったシーン。不器用な主人公が、不器用なりにも精一杯 後輩を気遣っていたのに、それすらも認められなかったシーンは読んでいて辛かった。

 

 

自分に厳しく、現実的すぎる

自分に厳しい

現実的である

ってのは、それぞれ良いコトだとは思うけど、両立し、度を超すと「余裕がなくなる」ように感じた。

 

福島さんの仕事ぶりでは怒鳴られても仕方ないと、正直どこかで思っていた。優しい職場作りというのも結構だが、優しさだけで通用する世の中でもない。私に「もっと自分の身体を大事にしないといけないよ」と言った中学校の先生みたいに、優しさが独善的な押し付けに変貌するのはよくあることだし、誰かに対する優しさによってほかの誰かが割を食うこともしばしばだ。

特に象徴的に感じたのが、上のような考え方。

決して間違ってはいないし、確かに…、と思う反面もある。けど、ちょっと不健康な考え方にも思えて仕方なかった。特に「誰かに対する優しさによってほかの誰かが割を食うこともしばしば」という部分。そんなに、しばしば、あるか?

 

私は結局、他人に対しても自分に対しても優しくなれない人間だ。

決して楽観的に生きられず、自分について客観視することを研ぎ澄ました主人公が立派でありつつも哀れにも見えた。

 

 

生きることの目的

閉じられ輪っかの中でぐるぐる回ることで、生物としての役割が果たされ、進化の仕組みが成就される。

環境に適応した個体を増やすことこそが生存競争と進化の目的だとしたら、それほど不毛な目的はない。決して釣り合わない快と不快を引き受けるために身体があるのだとしたら、身体を作り出し、維持すること自体が罪悪とすら思える。誰もそんなことにうんざりしないのが不思議でならない。

生存競争と、進化の目的。

なんとなく、進撃の巨人のジークを思い出した。

 

引用:進撃の巨人(著:諌山)

 

生物としての目的は「増えること」で間違いないんだろう。

だけど、生物でありつつ、自分がある。アイデンティティがある。生きることの目的や意義・意味を生物として考えると空しくなっちゃうから、あくまで自分本位で考えた方が自由に生きられるんじゃないかなぁ?と思った。

 

押しつけられた生物としての役割を果たし、押し付けられた遺伝子をまた誰かに押しつけることが、そんなにめでたいことなのだろうか。

『肉体』に縛られていたからではなくて、自分で決めた『考え方』によって縛られることもある。のかもしれないなぁ。

 

 

 

「肉を脱ぐ」
印象的だった文章

「肉を脱ぐ」を読んでみて

これは……

納得させられた部分、一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。

 

身体に縛られている

身体に縛られていると痛感する。

五体の内側にあるものと外側にあるものとで、世界が真っ二つに分断されている。

 

 

身体は暴君

身体に食料を取り込むほど空しい作業はない。

取り込んでも取り込んでも、身体は毎日食事という行為を要求してくる。身体は暴君で、私はその欲求を満たすための、ただのしもべだ

 

 

空々しくて白々しい感覚

それでも、空々しくて白々しい感覚はどこまでも付き纏う。身体にうんざりしているのに身体に依存しなければならないのが空々しく、生まれた瞬間からとてつもない重さを背負わされ、たくさんの可能性を奪われているにもかかわらず、なおも自由意志があるかのように振る舞わなければならないのが白々しい。ほんとは自由なんかじゃないのに「お前は自由だ」と言われ、選択の責任を負わされていると考えると、嫌な気持ちになる。

 

 

人間をねじ伏せる、身体に宿る欲求

突き詰めていけば、身体の存在理由は結局は種の存続とDNAの複製にある。そんな大それた任務の完遂のためにあの手この手を使ってくる。食欲を駆使して人間に摂食を強い、性欲を生み出して繁殖するように仕向ける。満たしてあげると満腹感や快感といったご褒美が出るが、さもないと様々な不調を起こし、人間をねじ伏せる。身体に宿る食欲と性欲を嫌らしいと思いながら、それに従わざるを得ない自分自身が惨めで仕方ない。つまるところ、私は身体に手なずけられ、飼い慣らされる愛玩動物のようなものかもしれない。

 

 

完全には自分のものになり得ない

身体を持っているということはどういうことなのか、それは嫌というほど分かっているつもりだった。この体に嫌悪感と疎外感を抱きながらもそれに依存しなければならないという矛盾、生まれた瞬間から押し付けられた生物としての役割や、生存競争の歴史、常に自分以外の誰かに、あるいは何かによって支配され、評価され、拘束され、完全には自分のものになり得ないくせに、自分こそが佐藤慶子という実在のすべてだという顔をしている、この身体、この軀体。これ以上何を分かろうというのだろう。これ以上分かったとして、そこから抜け出させない分、ただただ苦しむだけではないか。

 

 

他人のことになるとつい忘れてしまう

自分自身も身体に苦しんできたのだから本当はずっと知っていたはずなのに、他人のことになるとつい忘れてしまう。何かを切ったら当然、血は流れるだろう。当然、すごく痛いだろう。

 

 

 

 

総括:「肉を脱ぐ」
読書レビュー

衝撃的なクライマックス

であり、読了感が凄まじかった。肉体を持っていることを考察し続けて、疲れ切った主人公だからこそ辿り着いた極地と言いますか…。えぇ……、と。

 

あまり小説を読まない僕からすると、とっても斬新で、

こんなに面白いなら小説も色々 読んでみようかな

と素直に思った。

普段の生活では絶対に遭遇できないタイプの人間のすぐ傍で日常生活を観察できて、思考の隅々まで読み取れる感覚が少しだけコワく、とんでもなく興味深かった。何故、そのような考えに至るのかが明確に描かれていないからこそ、想像の余地があった。

 

 

本書の帯には、

肉体を愉しむもの、

肉体を恨むもの、

新たな肉体を得るもの、

そして肉体を捨てる神──

となっている。ホント、その通りのストーリーであり、最初から最後まで興味が失せることなく読める作品だと思うので、気になった方は是非。

 

 

それでは!

 

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