六本木のタワマン住み、ハーバード大卒、
さらにモデルや海外青年協力隊の経験があって英語ペラペラ、夫は高級官僚かつ人当たりの良いイケメンという嘘で塗り固めたSNSを運用している内に現実と嘘の区別がつかなくなった30代前半の携帯ショップ店員が犯罪を侵したり、事件に巻き込まれていく過程が描かれていたサスペンス小説が『一億円の犬』だった。
僕はあまり、というかまったくサスペンス小説は読んだことなかったんだけど、
高級店のディナーや旅行先の絶景などは、他人の投稿から写真を拝借し、加工やトリミングを行っている。思い付きで要素を追加し続けた結果、ハーバード大卒が加わったり、プロフィールが大渋滞してSNS上の自分がとてつもないスーパーウーマン化してしまった。本名を晒しているわけでもないし、盛りまくって別人と化した投稿を眺めていると、本当の自分はここにあるのではないか、いま自分を取り巻く現実こそが虚構なのではないか、とすら思えてくる。
という主人公 梨沙には「うーわ、ひどいな…」と思う反面、すこし共感できる部分もあり、嘘と生きる梨沙がどのような結末を辿るのかが気になって最後までほぼノンストップで読み終えた。
承認欲求が高くてウソで固めた生活を送る主人公がセレブで犬を飼っているという設定のマンガを描くために、保護犬を受け入れようとする主人公に共感できなかった。
セレブを装った主人公の態度が全く共感できないから、前半はイライラがヤバかった。主人公の行動は荒唐無稽で現実感がない。
という読評も見受けられたのでビックリしたが、僕的には自分に自信がなくて嘘をついてしまう精神については超納得できた。多分、僕は梨沙よりの人物なんだろう。SNSでくっだらないリア充アピールを一度でもしたことがある人なら、少なからず梨沙の心境には理解できる部分があると思う。
というワケで、今回は「一億円の犬」という作品について、読了後のレビュー・感想をまとめていきます。あ、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。
「一億円の犬」
概要・おすすめポイント
この犬さえいれば、人生勝ち組――
人間の欲望と犬の純真が交差したとき、?・罪・謎が加速する。
疾走感No.1作家が放つ、傑作サスペンス!六本木のセレブ妻という設定で、SNSにマンガ〈保護犬さくら、港区女子になる〉を投稿している梨沙。ある日、出版社の編集者から書籍化のオファーが来る。動画サイトで人気になれば億単位の収入も夢ではないという。年収一億円を夢見る梨沙は大胆な行動に出るが、想定外の“事件”に巻き込まれ……。
殺人者は誰か、?をついているのは誰か? 一度読みだしたらページをめくる手が止められない、疾走感満点の傑作長編ミステリー!
個人的な「一億円の犬」を読んだ感想・レビュー・心に残ったポイントは以下のような感じ。
とんでもない嘘つき&最低な主人公
マジでどーしようもない承認欲求で満ち、虚栄でしかない投稿ばっかりする小筆梨沙32歳が主人公なのが良かった。レビューを見ると、
こんな人、いるか…?
と共感できない人が一定数いるっぽいけど、インスタとかX(旧ツイッター)見てるか?いるぞ?令和6年の今でも、掃いて捨てるくらいいるぞ?なんならマッチングアプリとかでも「こいつマジか?」と思うような明らかな嘘プロフィールを書き連ねた(人気のない)女性は一定数いるのは確かだ。
あのアカウントに投稿されているのは、すべて嘘。こうだったらいいなっていう、理想の自分。だから、ごっこ遊びみたいなもの。
そうだ、子どもの頃にやったお店屋さんごっこや、お医者さんごっこ、お母さんごっこ。あれと同じ感覚で、ネット上に理想の自分や憧れの生活を演じていた。
子どもがやれば微笑ましいごっこ遊びなのに、大人がやったら虚言と非難される。現実と虚構の区別がつかないと言うが、区別がついていないのは自分ではなく、受け取る側ではないか。いつ卒業するべきだったのだろう。何歳から、ごっこ遊びが虚言癖とされるのだろう。正直さや正しさはつねに尊いのだろうか。
嘘を嘘で塗り固める。
嘘を補強するために嘘をつき、次第に嘘をつくことへの罪悪感がなくなってしまうタイプは確実に存在する。そういう人間が生まれてしまう仕組み・生き辛さなんかを理解する上で、梨沙の存在は勉強にもなると思う。程度の差はあれ、人間には見栄を張りたいという気持ちはあるから、梨沙のような怪物にならないためにも一読の価値があった。
SNSでリア充を演じる罪
最初はただの遊びだった。いまだってそうだ。『いいね』や羨望や賞賛のコメントで気分よくなりたかっただけで、寺本からのDMが届くまでは、それ以上の欲があったわけでも、なにかを期待したわけでもない。たんなる逃避だ。暗い趣味かもしれないが、インターネットに作り上げた虚像が、現実の自分を支えてくれた。
あらためて思う。私はなにか悪いことをしたのだろうか。嘘をつくのはよくないと教えられてきたが、嘘をつかないと自分を保てなかった。こうなってみて実感するのは、梨沙が騙したかったのは他人ではなく、自分自身ということだ。
言い分には無理があるように感じる。
あくまで嘘をついてまで他人から注目を浴びたい自分を正当化するためだけに論点をずらし、「正直さや正しさはつねに尊いのだろうか」なんての言い散らかす梨沙にはイラつきも感じる。
が、
SNSで虚構を演じる罪
については、各読者がどう思ったのか気になるところ。なんで、SNSでリア充を演じるヤツに僕らがイラつくんだろう?
嘘はダメとは言われてきたけど、そもそも明らかな嘘ならを判別できる人なら「まーた言ってるよコイツ…(笑)」くらいで済ませられる話だ。梨沙が言ってるように、子どもがやってるお店屋さんごっこに目くじら立てる大人はいない。
判別が難しく、自分の価値観が揺るがされるムカつくんだと思う。豪勢な生活っぷりを見せびらかしてくる人を見てると「自分はこれでいいのだろうか…?」と思わせられてしまう。芸能人やらスポーツ選手やら特筆した能力がある人ならいざしらず、自分と同じような一般人のリア充アピールに、『自分ももっと人生を楽しむべきなのでは…?(いやでもお金が…)』とか『こんな充実した生活を送れないのは自分の努力不足なのでは…?』なんて、感じる必要のなかった劣等感すら覚える。自分では達成不可能なレベルにゴールが設定される感覚がある。
現実と虚構の区別がつかないと言うが、区別がついていないのは自分ではなく、受け取る側ではないか。
という文章は梨沙の詭弁ではあるけど、真理でもある気がした。そもそも区別がついていれば惑わされない。SNSを使って承認欲求を満たそうとする人物には、他人の現状に不安を抱かせるという罪はあると思うが、そもそも他人のSNSごときで心を動かされる僕達にも罪はあるのかもしれないと思った。
手に汗握るサスペンス!
僕はサスペンス小説を読んだことがないので手垢にまみれた表現になってしまうけど、まさに手に汗握るサスペンスだった。正直、嘘を嘘で塗り固め、存在しない虚構を現実にしようともがく主人公の悪戦苦闘・空回りを見ているだけでも非常に勉強になったし、なんなら途中、いや3分の2くらいまでは
「こんな最低なヤツが、どういう結末に行きつくんだろう…?」
という興味が勝っていたが、サスペンス小説らしく(?)、後半の伏線回収、巻き込まれていた謎の殺人事件をめぐる展開にはゾクゾクした。
まさに予想外の展開であり、小説だからこそ、文章だからこそ想像の余地がたっぷりあって怖かった。
公園で遠巻きから、鬼の形相でこちらをみつめる男性
的な文章だけでゾワッ!と鳥肌が立ったのは初めての経験でした。
「一億円の犬」
印象的だった文章
「一億円の犬」を読んでみて印象に残った部分、一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。
興味すらない
正直なところ、相互フォロワーの投稿をおもしろいと感じたことはない。興味すらない。どこに出かけた。なにを食べた。誰と遊んだ。何者でもない貧乏人の日常に、誰が興味を持つというのだ。
嘘は日常
梨沙にとって嘘は日常だった。息を吐くように口から滑り出てくる。そして嘘をついているうちに、それが本当にあったことのような錯覚に陥る。整合性など考えずに嘘をつきっぱなしでいられるSNSは、だから梨沙にとって、のびのびと自己表現できる場所だった。現実ではないが、たしかに存在するもう一つの世界。
つい話を盛ってしまう癖
つい話を盛ってしまう癖のせいで、嘘つき呼ばわりされ、友人だと思っていた相手が離れていった。最初はいいのだ。嘘を鵜呑みにして、興味を抱いてくれる者もいる。しかし加減とやめ時がわからない。嘘を重ねて自分を大きく見せ続けないと、嫌われるような気がして不安になる。
友達ごっこ
自分は孤独だと、ときどき梨沙は思う。けれどほかの人間だって、本当はみんな孤独で、孤独でないふりをしているだけではないか。孤独でない人間は、存在しないのだ。友達ごっこ。親子ごっこ。恋人・夫婦ごっこ。すべては孤独な自分を慰めるためのごっこ遊びで、虚飾に過ぎない。みんな、独りではないと自分や他人に嘘をついている。そうに決まっている。でなきゃ、クリぼっちを避けるために急いで恋人を作るなんて考えには至らない。
犯罪に手を染める心意
計画を断念するつもりは毛頭ない。
立ち止まれば犯罪者にはならなくても、惨めな人生が延々とつづくだけだ。
実はすごく傲慢な姿勢
だってマッチングアプリって、そういうものじゃないですか。希望の条件で検索して、相手のプロフィールで判断する。希望の条件通りであっても正確が合わない可能性だってあるのに、あえて条件の悪い相手とマッチングする意味なんて、なくないですか。良いところも悪いところもすべて正直にさらけ出した上で、その上で自分を選んで欲しいって望むのは誠実なようでいて、実はすごく傲慢な姿勢だと思います。
ありのままを受け入れてほしいっていうのは、相手に合わせて自分を変えるつもりはないってことですから。
本当の君
本当でも嘘でもどっちでもいいんだけど、きみの血筋だとか肩書きだとか学歴だとか、有名人の知り合いは、きみの本質ではない。まわりのみんなが知りたいのは、本当の君だ。
わからないから、最善を尽くしてやる必要がある
「犬が幸せか不幸せかなんて、人間にわかるんですか」
「わからないから、最善を尽くしてやる必要がある。どんな過酷な環境だって、犬は受け入れるしかないんだから」
「最善って、なにが幸せか不幸せかわからないんだから、なにが最善かもわからないじゃないですか。最善を尽くすなんて、結局自己満足な人間のエゴでしょう」
「そう考える人間に、犬を飼う資格はない」
成功者という職業
モリゴーさんは成功者…というより、成功者という職業なんです。やり手の起業家で、たくさんお金を稼いで贅沢三昧の生活をしているように振る舞うのが仕事。そうやって自分を実像より大きく見せることで、現状に不満を抱えた自称意識高い系の若者から金を吸い上げているんです。有名だし、そこらのサラリーマンよりはお金を持っているかもしれないけど、成功者を演じ続けるために出費も大きいから、世間の印象よりお金持ちってわけでもないですよ。
本当に能力がすごい人には、追いつけない
『本当に能力がすごい人には、追いつけないじゃないか。ちゃんと勉強してちゃんと努力してる姿なんか見せつけられても、すごいなって思うだけで、憧れの対象にはならない。そういう人に憧れちゃうと、自分も死ぬほど努力しないといけなくなるから。人間ってのは、できるだけ努力せずに成功したいものなんだ。その点、モリゴーさんはちょうどいい』
汗をかかずに成功したかった
これまでもずっとそうだった。もっともらしい理屈をこねては、楽な方ばかり選んできた。最小の努力で、最大の結果を求めてきた。汗をかかずに成功したかった。
だったら悪役に徹すればいいのに、それができない。他人からどう見えるかを気にして、良い人ぶったり、かっこつけたりしてしまう。
他人を利用して金儲けをしようとするくせに、最後の最後で冷酷になりきれない。騙すことへの後ろめたさがこみ上げて、あとひと押しが足りずに失敗する。その甘さが弱点という自覚はあっても、克服できない。やさしいのではなく、弱いのだと思う。本性は邪悪なくせに嫌われたり憎まれるのは嫌だから、善人にも悪人にもなりきれない。本物の悪人の口車に乗せられて、いいように利用されてしまう。
総括:「一億円の犬」
読書レビュー
サスペンス初心者でも超面白かった
「一億円の犬」でした。
当記事ではあまり紹介できなかったけど、重要登場人物犬でもある「コロン」の存在も良かった。超絶キュート。息をするように嘘を吐くような梨沙を変えたのが、言葉を理解しない犬のコロンだったというのがね、なんとも良くって…。読んだ直後、ペットショップに行って犬を抱かせてもらっちゃいました。いつか犬を飼ってみたいなぁ…。
というようなイヤな人物であるけど、どこか共感してしまう主人公であり、お金があれば自分から離れていった人達を見返せると考える梨沙の奮闘は虚しくも見応えがありました。気になった方は是非。
それでは。
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