【推しスゴイ⇒自分スゴイ(?)】『推し』で心はみたされる?【感想・書評】

『推し』なんて不必要!

と思ってました。こんにちは、老害です。だって何かとつけて金 巻き上げられるし…。時間とエネルギーに余裕のない僕のような人種にとっては理解に苦しむジャンルだと思います。推し。応援するのはいいんだけど金が絡むとな…、キラキラしたキャラ・アイドルの後ろで腕組みするジジィが透けて見えちゃう気がするんだよ…。

 

とはいえ気になる『推し』文化。そこで読んでみたのが「『推し』で心はみたされる?」でした。

『推し』や『推し活』がモチベーションの源になったり、何かを始めるきっかけや頑張って練習する触媒になったりする以上、これらも承認欲求と同じく、気持ちが充たされるだけではなく、私たちの活動や技能や才能を、ひいては将来や可能性をも左右するものではないでしょうか。

生きる上で必要ないと思っていた『推し』だったが上の通り、上手く活用できる人とそうでない人で人生の難易度や幸福感が案外変わってくるファクターにもなるとのこと。

 

 

というワケで今回は、「『推し』で心はみたされる?」について、読了後のレビュー・感想をまとめていきます。あ、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。

 

 

 

 

「推しで心はみたされる?」
概要・おすすめポイント

学校、職場、地域といった中間共同体を失った現代社会で、人々が求めたものとは……? 

SNS時代のナルシシズムの取り扱い方を提起。

 

引用:大和書房「推しで心はみたされる?」

 

 

「推しで心はみたされる?」を読んだ感想・レビュー・心に残ったポイントは以下のような感じ。

 

 

『萌え』から『推し』へ

本書では『推し』文化が定着するまでの歴史についても学べる。『萌え』から『推し』に変化していく過程など、なるほど納得できる説明が多かった。

『萌え』と『推し』って、どう違うの…?

両方とも根底にあるのは「好き」という気持ちだけど、その気持ちが第三者に対して開かれている度合いが全然ちがう。『萌え』が強い場合、

長門有希はオレの嫁

という感じで、自分とキャラクターの2人だけの関係性をベースにしている。これに対して、

私の推しは和田雅成

と言う人は、その好きな対象を第三者と一緒に応援したいという気持ちが強いそうだ(リアコなどもあるが、話が死ぬほどややこしくなるので割愛する)。

 

 

「推し」の危険性について

推し活の集団性、第三者に活動が開かれ、第三者にアピールしたくなる性質は、推し活する人の自制心やメンタルヘルスの状況次第では有害に働くことさえあるでしょう。

(中略)

SNS上で承認欲求を充たし続けるよりはイージーに見える推し活ですが、誰でも無条件にできるわけではないことがおわかりいただけたでしょうか。自分自身のキャパシティをオーバーするような推し活しかできない人や周りに迷惑をかけてしまう人、「推し」に勝手に幻滅して逆恨みしてしまう人もなかにはいるのです。

引用:第1章 承認の時代から「推し」の時代へ

上のように「推し」が持つ危険性についても解説されていた。

露骨な集金システムとかな

マーケターやクリエイターが、推し活に伴うプレッシャーを利用していること、推し活が狡猾にもビジネスモデルとして展開されていることについても触れられており、「推し」がいれば全部ハッピー、親の金でもスパチャすべき、みたいな本でもないので安心して読んでほしい。

 

 

『推し』で充たされる所属欲求

人間関係にまつわる欠乏感がある現代において、承認欲求やアイデンティティの問題は深刻だ。社会から自分がどれだけ評価されるのか、自分自身をどのように認識するかは僕たちの気持ちに大きく影響する。

 

自分自身が褒められた時や認められたとき、僕達の承認欲求は充たされる。それと同じように、自分が推している誰かが活躍しているときや、自分が推している対象と一体感をおぼえている時にも気持ちが充たされるのが「所属欲求」。

 

誰かを推すこと、応援すること。なんらかのグループや共同体に所属し、そのおかげで気持ちが充たされること。人間の心の問題を考える上で、大事な構成要素であり、個人主義な「承認欲求」だけを充たすだけでは精神的に不安定だとも学べた。

 

 

ナルシシズムの成熟について

「推し活」をする上で重要なのがナルシシズムについて。

今月かなりヤバいけど、投げ銭しなきゃ…

と考えてしまうのは意志が弱いんじゃなくて、ナルシシズムの熟練度が足りないから、という見方は新しかった。

 

筆者の脳容量では理解するので精一杯なので、詳しくは本書に任せるが、

欠点のみえなかった自己対象に成長とともに適度に幻滅していく体験が積み重なれば、欠点のある自己対象をとおしてもナルシシズムが充たせるように変わっていき、それにともなってナルシシズムも成長する。

引用:第2章 推したい気持ちの正体

という一文が心に残った。

他人に期待しすぎたり、自分が評価・褒めてもらって当然と考える人は「承認欲求」の充たし方が下手であり、欠点をうまく隠している遠くのインフルエンサーや偉人ばかりを推してしまう人は「所属欲求」の充たし方が下手。

○○を『推し』って言うなら、初期の作品を全部見てからじゃなきゃ認めない

みたいなことを平気で言ってしまう厄介なファンや、生活が破綻するくらいに推しに投げ銭してしまう方に欠けているのが「ナルシシズムの熟練度」だそうだ。詳しくは本書で読んでみてね。

 

 

子供のナルシシズムについて

メンタルが柔軟で強く、安定している人は日常的なことで精神的に充足を感じられる。また、多くの人から好かれやすいも事実だと思う。で、ささいなことで承認・所属欲求が充たされるためには、より広い範囲の人を自己対象として体験できること、ナルシシズムを成長させる必要がある。

どうやって成長させるん?

一般的に、ナルシシズムの成長は幼い子ども時代に旬を迎えるそうで、一見 パーフェクトヒューマンのように見える父親・母親が重要だそうだ。認知機能や感覚器官の発達とともに、親の欠点が見えてくる、それでも自己対象として体験し続けていく‘’適度な幻滅‘’という過程を得て、子どものナルシシズムは成長し、人間関係にて過度な期待をもたなくなったり、度量まで広くしてくれるそうだ。

まずは完璧な親になれってこと?

そうではなく、親として子供から自己対象として体験させられていることについて認識するのが重要っぽい。そう考えず、逆に子供を親自身のナルシシズムの充足にだけ焦点を当てると、自分が高学歴でありたかったから子供を勉強漬けにしたりして、ナルシシズムの成長はおろか、メンタルヘルス的にも行き詰まらせてしまう。

 

ウィニコットという発達心理学者が、

ほどほどに良い母親が良い母親

といっているように、等身大の子供を見失った子育てにならず、神経質になりすぎずに子供と接していくことが重要とのことだった。

 

 

 

「推しで心はみたされる?」
印象的だった文章

「推しで心はみたされる?」を読んでみて印象に残った部分、一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。

 

 

ソーシャルな欲求

人間は太古の昔から群れをつくって助け合うソーシャルな生物として進化してきました。群れの他のメンバーに認められること、信頼されること、一人前としてみなされること。または尊敬できるリーダーを推せること、強力な部族や共同体のメンバーの一員でいられること。それらは厳しい環境で生き残り、子孫を育てていく上でとても重要でした。

引用:第2章 推したい気持ちの正体

「承認欲求」や「所属欲求」が他人の存在を必要とする。なんで一人で充たされない欲求が備わっているのか?というと、上のような感じ、進化の過程でソーシャルな欲求を充たすようにモチベートされたんだってさ。

 

 

人間関係を良好にする『推し活』

たとえばあなたが尊敬できる上司を推している時、あなたが所属欲求を充たせるだけではなく、上司も承認欲求を充たされ、うれしくなるでしょう。すると、あなたと上司の関係は好ましい方向に変わりやすくなります。

引用:第2章 推したい気持ちの正体

承認欲求・所属欲求は遠い者同士の人間関係にはあまり影響がない。そこで筆者は、職場や部活動といったコミュニティで「推し」を見出せるようになることを推奨していた。カジュアルな「推し」を見つけるべき、なのかもしれない。

でも、身近にいる人は欠点ばっかり見えるから…

と言う人は先述の通り、ナルシシズムの熟練度が足りないそうだ。

 

 

すぐに「推し」を乗り換える人

「推し」を選考する際に欠点のみえない「推し」ばかり選んで、欠点がみえるようになったらすぐに嫌いになってしまうような推し活を繰り返していては、コフートの語ったナルシシズムの成長に必要な”適度な幻滅”が「推し」との間柄のなかでは体験できません。

引用:第3章 「いいね」と「推し」に充たされ、あるいは病んで

 

 

我慢する必要性

これはキャラクターに限ったことではありませんが、人的流動性の高い自由な社会は、自己対象との関係が不首尾なときの私たちの耳に「あいつのことが嫌いになったなら、我慢して仲直りするよりも別の誰かを見つけちゃえよ」と囁いてきます。そんな世の中で、自分自身のナルシシズムを成熟させる必要性はどれぐらいあって、そのための方法は実際あり得るでしょうか。

引用:第3章 「いいね」と「推し」に充たされ、あるいは病んで

 

 

日常の中で承認欲求を充たす

挨拶を守ること、礼儀作法を守ることは、学校や職場のマナーのように語られていますが、同じ場所で学ぶ者同士、働く者同士の間で承認欲求を充たし合う、あるいは仲間意識をつくって所属欲求を充たし合うためのルーチンとしてはよくできています。

引用:第4章 「推し」をとおして生きていく

挨拶や礼儀作法はナルシシズムの充足に加え、自分が参加するコミュニティでのコミュニケーションを円滑にする。結果として人間関係をうまくいきやすくし、こじれにくくする社会習慣。書いていて当たり前のようだが、きちんと意識して行いたいね。

 

 

お手軽な「推し」と、その問題点

自分に全く関係ないような遠くの、欠点をうまく隠したインフルエンサーや、人工的に作られたキャラクターを推すのは超かんたんだが、そんな『華々しい推し』が基準になってしまうと大変だ。

学校や職場に「推し」がいない人や所属欲求が充たせていたない人も、ひょっとしたら、欠点のみえない「推し」と比較して色んな人を無意識に見下してしまっていて、その見下しが筒抜けになっているせいで反感を買っているかもしれず、それが承認欲求を充たすうえでも大きなペナルティになっているかもしれません。

引用:第4章 「推し」をとおして生きていく

 

………

 

「推し」を思いっきり崇拝し、くもりのない理想化自己対象とみなし、自分達はその「推し」と一体だと思い込みながらそうでない人々を見下すのは、実は気持ち良いことです。または、自分が所属しているグループや思想信条の集まりを高等とみなし、そうでない人々を下等と見なす選民主義も気持ち良いと言えば気持ち良いでしょう。

自分達少数が高等でその他大勢が下等だと思い込むと、「推し」や所属グループを理想化自己対象としてナルシシズムが充たせるだけではなく、その他大勢を、自分達を上等だと思い込むための鏡映自己対象としてナルシシズムを充たせるからです。

引用:第4章 「推し」をとおして生きていく

度々出てくる

  • 理想化自己対象
    自分の承認欲求を充たしてくれる存在
  • 鏡映自己対象
    自分の所属欲求を充たしてくれる存在

くらいの認識で読んでね。

 

 

悪徳にもなるうる「推し活」

推し活には、節度が備わっているべきです。

引用:第4章 「推し」をとおして生きていく

見下しはどんなに気持ち良くても悪徳で、自分には孤立を、周囲には良くない感情をもたらす。

 

 

人間関係について

人間関係は、壊れてしまえば得られるものは壊れた時点でおしまいです。でも、友達でもパートナーシップでも、長く続けば得られるものは長く続いたぶんだけ豊かになるでしょう。若い頃は私もあまり意識できていませんでしたが、五十歳近くになってつとに感じるのは、いよいよ輝きを増すのは地味でも歳月を乗り越えられた人間関係で、そうして長年続く人間関係はお互いを磨き合うようになります。

引用:第5章 「推し」でもっと強くなれ

 

 

 

総括:「推しで心はみたされる?」
読書レビュー

ソーシャルな欲求の充たし方

について良く学べた本書だった。

「推し活」によって承認欲求や所属欲求が得られる。これらは基本的には一人では充たせられない。他者の存在が必要になる。しかし、誰でも良いわけではない。そこで、

  • どのように『推し』を選別するか
  • どのように『推し』を推すか
  • そもそも、なんで『推す』のか?

という3つの要素について、精神科医として見解から詳しく書かれており、と~~っても勉強になった。

 

メンタルヘルスを健全に保つための「推し活」の作法・心構え・効用について理解が深まるぞ。気になった方は是非 読んでみてほしい。

 

 

 

 

 

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