楽しく生きたい
という気持ちがある。ないわけがない。
では「働きたくない」という気持ちについてはどうだろうか。僕とは違い、ちゃあんと企業でサラリーマン・OLとして働いてる知人・友人(26歳~29歳)に聞くと、
死ぬほど金あるんだったら絶対 働かないけど…
選択肢があるなら迷わず「働かない」を選ぶよ…
という意見が圧倒的。100%だった(3人中3人)。どうも皆、働くことに疲れている心象。
そもそも『楽しく生きる』というのは、どういう生き方だろうか?と考えたときに、
「働かない」っていうのも生き方もアリなのでは?
と思う人もいると思う。でも、本当にそうなんだろうか?働くことがない人生は、楽しいと言えるのだろうか?
というワケで今回は、「『働きたくない』というあなたへ」という作品について、読了後のレビュー・感想をまとめていきます。あ、記事本文では随所にネタバレや本文の引用もあるので、気になる方はここらでブラウザバックしてね。
「『働きたくない』というあなたへ」
概要・おすすめポイント
ネットの人気コラム「おとなの小論文教室。」で大反響を巻き起こした、大人の本気の仕事論。「働くってそういうことだったのか!」働きたくない人も、働きたい人も今一度、仕事を生き方を考えたくなる本。
本書は、ほぼ日で連載している「おとなの小論文教室。」からの引用が多い。誰でも無料で読めるので、時間がある方は是非 目を通してみると良い。面白いぞ。
個人的な「『働きたくない』というあなたへ」を読んだ感想・レビュー・心に残ったポイントは以下のような感じ。
働くことで得られるもの
「働きたくない」というあなたへ
仕事をもたないならそれでいい、と思うのだが、
では、「自由」はどうやって手に入れるのだろう?
自分の次なる「居場所」は、どう考えているのだろう
と説く著者。
- 自分にとっての「自由」とは?
- 最低限必要な、社会との絆って?
- 自分の居場所はどう作るべきか?
といったモヤモヤした悩みについて、実際に働いたり、無職になったりした人達の様々な意見をもとに解説されていた本書だった。
やめられるなら仕事なんてやめたい…
という方にこそ読んでみてほしい。
近すぎて見えないこともあるっぽいぞ。
丁度良い距離感の人間
「一回話したことがある」
「一回一緒に作業をしたことがある」
そんな人間が、自分のいる空間にいてくれること、増えていくことは、ほんとうに呼吸のしやすいことなのだなぁと、彼らを見ていて驚かされる。
引用:第4章 グレーゾーンの住人たち
深い関係でもなく、まったく知らない仲でもない人間関係を築く上でも、会社のような組織で働くことが役に立つ。
そんな人間関係、いるか?
不必要なんじゃないか?
という風にも思えるが、なんでもかんでも白か黒か、必要か不必要かで判断するべきではないっぽい。隙間なくキチキチに管理されたタイムスケジュールは効率的だけど息苦しい。
本書では、
- 第1層:親・恋人・親友など
- 第2層:友人・親戚
- 第3層:仕事などにおける人間関係
というように分けて、それぞれにふさわしい密度で付き合うことが快適な生活を送る上で重要ということが説かれていた。関心は払うけど介入はしない、依存・要求からも無縁な第三層の人間関係によって救われることもあるそうだ。
我慢量=給料?
仕事は、基本、人を「束縛」するものだ。先々週、自分が自由であるために仕事が必要だと私は言った。だが、仕事は人を自由にしない。仕事の拘束に耐え、義務を背負い、りっぱにまっとうして成果を出したものにだけ、対価として自由は与えられる。
お金を稼ぐため働く。
我慢量=お給料、みたいな考えも一時期流行った。だけど、ちょっと悲観的にも思える。どことなくネガティブにも感じる。
「働くこと」は「束縛」という一面もあるのが確かだ。だけど、それが全てではない。そんなに単純じゃない。
他の本からの引用だけど、
たとえば「仕事はつらいか?」と聞かれれば「イエス」なのは確かです。
では、同じように、「味噌汁はしょっぱいか?」と聞かれれば、間違いなく「イエス」ですよね。
ただそれって、味噌汁の全部を説明したことになりますか?しょっぱいだけじゃない、さまざまな要素があり、そのさまざまな要素こそが、味噌汁の本質じゃないですか。だから「仕事はつらいか?」という問いだけでは、仕事の本質は分からないのです。
という考えがある。無暗に「好きなことを仕事に!」とか「働くこと=自己実現」みたいな就活会社の広告に流されないようにしたいなぁ。
「『働きたくない』というあなたへ」
印象的だった文章
「『働きたくない』というあなたへ」を読んでみて印象に残った部分、一節を備忘録として抜き出しておく。多くなり過ぎたので数を減らしたが、少しでも気になるフレーズがあれば是非、本編を読んでね。
用意されてきた『居場所』
思えば、小学校・中・高・大学と、箱が、社会とつながっていた。チューブを通して栄養が補給されるように、「へその緒」を通して、社会から、必要な情報も、愛情も、与えられ、守られてきた。
あまりに当たり前に「居場所」が与えられる生活をしてきたので、自分の手で「居場所」を切り開くことに、あまりにも無頓着で生きてきてしまった。
行き過ぎた成果主義
しかし、働けば、自動的に自分の価値が実証されるかと言えば、そういう訳でもありません。行き過ぎた成果主義の中で、社内での競争が激化し、「あいつはデキる」「あいつは使えない」そんな言葉に、いつも振り回され、クタクタになってしまうのも、よくあることです。
「働きたくない」という若者は、おそらく会社を、毎日能力を試され、自分の価値を値踏みされて、評価されるところ、という風にとらえているのではないでしょうか。価値がないと思われれば、そこで拒絶され、居場所はなくなる。
就職活動
自己否定のない就職活動はありません。
働くこと=自己実現でなければならない
自分の適性や進路、やりたいことについて考えることはもちろん大切なことです。ですが、「働きたくない」という気持ちは、「働くこと=自己実現でなければならない」と学生を追い立てる美化された就活(=働くこと)に対する当然の反応だと思います。
考えるとは、「自分に問う」
考えるとは、「自分に問う」ことだ。
考えることを通して、自分と交信し、自分という氷山の奥底にある、自分の想いを汲み上げ、言葉にし、表現する。考えることを通して、自分らしい言葉・言動が生まれ、自分らしい選択ができるようになり、選択が意志になり、進路になる。
後退はしない
たとえ1ミリでも、2ミリでも。進めない日は、1年でも2年でも、同じ個所で足踏みしてでも、でも1歩も後退はしない。次の1歩はこの先に出す。
死んでいるのに、生きてる
世の中には20歳で死んでいるのに、80歳まで生きている人がなんとも多いことだろう。
日々、失う生き方
なんとなく自己実現せず、なんとなく遠慮して、あるいは、なんとなく怖くて一歩引いてしまった。なんとなく大人の言うことにしたがって、なんとなくみんなについていって、自己表現をひかえ、一歩引き、二歩引き、自分が引いていることにさえ無自覚にきてしまった人が、ある日気付いたら、日々、失っていたということもあるんじゃないだろうか。
「出す」ということ
つまり「出す」ということが、自分のまわりにあるものに気付く道だと思う。自分の想いを言葉や行動にして外に「出す」。どんなに自分のまわりに、いい食べ物があったとしても、自らつかんで、口に入れ、噛んで、消化しなければ、自分のものにはできない。「出そう」とすれば、必ず、入る。
反論の余地がない、誰にとっても良い言葉
思うに、「楽しい」とか「幸せ」とか「正義」とか、一見、反論の余地がない、だれの目にも良い言葉というのは、それだけに、使い方をまちがえると危険というか、思考停止とか、すり替えとか、逃避とかを生みやすい所にあるんじゃないだろうか。たとえば「正義」の名のもとに戦争するとか、幸せを追い求めれば追い求めるほど遠のいてしまうとか。
キットには入ってない
婚活ブームに便乗した商法で、まるで、「結婚」をパッケージのように売ろうとしているかのようなものに、でくわすことがある。でも私は、「結婚」というキットには、ひとつ、入っていないものがあると思っている。
それは「幸せ」だ。
家電を買うと、ときどき「電池が入っていません」「電池別売り」などと書かれ、電池が自分の手で調達してこなければ、なにも動かないし、はじまらないことがある。同様に、「結婚」というキットには、「幸せ」はついてこない。それは、自分たちの手で、対価を払ったり、工夫して、つくりださなければならない。
生きることを楽しむ
「生きることを楽しむ」となったら、「いまここ」を楽しむということになる。「いまここ」は、まぎれもなく、自分を取り巻く現実であり、自分の人間関係であり、よくもわるくも、いままで生きてきた自分が招いた結果だ。だから、「いまここ」を楽しむというのは、極めて自分らしい、自分にしかできない行為だ。
楽しさや喜びはゴールにならない
友だちとしゃべっていて楽しい、美味しいものを食べて楽しい。そういう楽しさはいくらでもあるけど、自分の人生の中で人にぜひ伝えたい楽しかった思い出を探ると、その裏には必ず苦労があるような気がします。楽しさや喜びは、何かに努力し、必死になる過程や結果として得られるもので、それをゴールにはできないような気がします。
総括:「『働きたくない』というあなたへ」
読書レビュー
働くことについて、
自分に合った答え
を見つけたい方にオススメな「『働きたくない』というあなたへ」だった。自立して生きていくために、どうしたって働く必要がある。だけど、「働きたくない」という気持ちもある人のほうが多いでしょう。
聡明な人、愚直な人、悩んでいる人、自分なりの答えに辿り着いた人、いろいろな人の意見が組み込まれている本書なので、「働くことの意味・意義」なんかについて悩まれている方にとって、大いに参考になるでしょう。
ひたすらに勤労奉仕を善とするような本は読みたくないんだけど…
まったくそんな要素はないので安心して読め。「働くこと」についてはもちろん、それよりかは「生きること」について考えさせられたぞ。
なんとなく今が楽しくない、息苦しい感覚がある方におすすめの本書でした。
気になった方は是非。
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